今日の坊主の独り言

意味付けフィーバー

自分でもちょっと気持ち悪いかも、と思っていることに、

あらゆる買い物で意味付けをするという癖がある。

 

たとえば、スーパーできゅうりを選ぶとき、

陳列されたキュウリの山の中の、真ん中にある、まっすぐなキュウリが目に入ると、

〈このキュウリのように、もっと堂々と人前で喋れるようになりてえわ〉と、

その堂々としたキュウリを買う、とか、

 

コンビニでデザートを買うとき、

隣のお客さんがプリンを落として再び棚に戻すのを見かけると、

〈このプリンのようにわたしも打たれ強くなろう〉

という気持ちをこめてそのプリンをあえて買ったり、という具合。

 

字面にするとやっぱり気持ち悪い。

気持ち悪いのだけど、

ふと、この癖ってそういやいつからのことで、なんでかしらと

今書きながら考えていましたら、

これはおそらく受験時代に浸みついたのだと思い当たった。

 

私は、高校卒業後、大学受験のために一年浪人をした。

当時は、なにがなんでも受からねば!と

自分の部屋の机には、自分のことを嫌っている(と自覚している)知人の似顔絵を書き、

その吹き出しに「藤原は受かんねえだろうなあ。ニヤリ。」

と書いて、毎日それを見ながら「うるせー馬鹿!馬鹿!」と、奮起しながら勉強していた。

そんな(?)受験のプレッシャーの中、

何かにつけても《受かるか、受からないか》という連想がつきまとい、

 

おにぎりの鮭を買うかツナを買うかで迷ったとき、

「今ツナを買ったら受かるんじゃないか?」とか、

靴下を履くとき、「左から履いたら受かるんじゃないか?」とか、

電線に小鳥がとまっていたら、「あいつが5秒飛んでいかなければ受かるんじゃないか?」とか、

 

軽度なノイローゼといってもいいのかもしれないけど、

そうやってすべて合否の未來につなげて考えてしまう、という時期があった。

 

今、当時の自分に会えたなら

「そんな大仰に考えなくとも、生きてりゃなんとかなるぜ、テイキット•イージーだぜベイベ。」

と励まし、高田純次さんのyoutubeとか見せながら足裏マッサージをしてやりたい気持ちだが、そのときはその視野が限界だったんだろう。

 

受験の名残であることは書きながら今気づいたけれど、

そして思い出してなんだかゲンナリしてしまったけれど、

 

きっと、買うときにストーリーがある方が安心するんだと思う。

これが、お金もなくて、とか、食料もなくて、

なんでもいいから買えるだけで御の字!の状況ならば、ここまでは思わないわけで、

 

数多あるところから、何かを選択する、という贅沢をする際に、

その選択を突き動かしてくれる動機があるのは、大きな安心だ。

 

もちろん質が良いものを選びたくはなるけれど、スペックという客観的な評価基準だけではなく、モノと自分をつなぐ理由が欲しいのだと思う。

 

何かを選択できるということは贅沢で、とても、心もとない。

 

 

 

 

※あとがき※

一週間もブランクが空いてしまった。
脚本完本前に頭がそっちに行ってしまったきり、戻ってこれませんでした。説破つまっていようがなにしようが、ひょいひょいと毎日更新することを目指して始めたのに。……再び続ける。

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